PMDDの根源的解決のために②
前回の続きです。
さて、世間、他者、平均というものが「自分の特性を知る」ための大きなハードルになるとお話ししてきました。
自分を知るうえで、世間、他者、平均との比較は必ず出てきます。
私たちは、自分が世間の中のどこに属し、平均と比べてどの位置にいるのか、そして他者のふるまいとかけ離れていないかを意識しながら、「社会での自分」を生きています。
これは、この世界を生きていくのにとても重要な分析で、様々な選択肢の中から自分の人生を選択していくためにも必要な比較でもあります。
ただ、その中に「自分の特性」は加味されているでしょうか?
つまり私たちの個を見ず、ほぼ同じ人間の能力として平均をとっていないでしょうか?
もしそうだとしたら、本当にの意味で「自分」を生きていくのはとても難しく困難なものになります。
自分の「特性」を理解し、その「特性」加味した上で他と比較してはじめて、自分の人生を自ら選択しているか?ということです。
前回、比較自体は問題ではない、しかし比較から生まれる分断はPMDDを発症させ、悪化させるともお話ししました。
その分断こそ、自分の特性を理解していないから生まれるのです。
もしその特性を理解したら、それをすっぽりと受け入れ、自分の大切な一部として認識し、人生を選んでいけるのです。
そうすれば比較が生まれても分断は起きないはずです。
私たちが生きているのは、全ての人が同じモデル、同じプログラムのコンピューターを持ち、スキルを競う世界ではありません。
それぞれが全く違うモデルで、異なるプログラムを持ち、自分にしか使いこなせないコンピューターを持っているのです。
それぞれのプログラムとは、それぞれの体質、性質、性格、考え方、感じ方、表現、五感、耐久性、持続性・・・様々な無限のプログラムです。
こんなにもそれぞれが違うプログラムを持ちながら、それを知らずに「他の人と同じようにできない、だから自分は無能なんだ」と自分を分断することはあまりにも悲劇です。
大切なのは、自分がどんなプログラムを持ち、どうすれば快適に使いこなせるかを、まず知ることです。
そのプログラムの存在に自分自身が気づかなければ、それは永遠に重い荷物となり、ただの役に立たない無駄なものとなり、どこかに捨てたくなってしまうのです。
それが、自分を傷つけ、殺したくなり、消えたくなるということです。
PMDDの時に噴出する感情は決して特別なものではありません。
このような日常で積み重なったフラストレーションが、ホルモンという波に乗って時々爆発するのです。
だからこそ、「自分の特性=自分だけのコンピュータープログラム」を知る必要があるのです。
「自分の特性を知ること」それが自分の人生の動かし方を方向付けることにもなり、自分らしい人生を歩んでいく最初の一歩になるのです。
自分の特性を知ることができ、大切な一部だと認識し、自分らしい人生を選んで生きていくことができれば、おそらくPMDDは防げるし、症状も改善できるでしょう。
ただ、「自分の特性を知る」ことは、すでに生まれた時からはじまっています。
でも子どもは自分を客観的に理解できない、だからこそ周りにいる大人が目の前の子どもの「特性」を知る必要があります。
もしその子の「特性」に気づかず、ステレオタイプに当てはめて、他の子や平均と比較して型に押し込めてしまったなら、子どもたちが「自分の特性」に気づき、受け入れられるのはかなり先になるかもしれません。
そしてそこに気づくまでの間に、とても傷つきながら、不安を感じながら生きてしまうかもしれません。
それがたまたま、PMDDという形になって見えているだけかもしれません。
生まれ持った「特性=特別な性質」とは、生まれ持った「本質」のことです。
「本質」とは、「本当のクオリティ(質)」です。
それはその人の持つ「本当の価値」です。
生まれ持ってきたものは、ただありのままのものです。
ありのままを壊そうとしても、ありのままの姿に戻るだけです。
だからもう、壊すことを諦めて、知ることをはじめてみましょう。
自分らしく生きるために。