PMDDのない人生だったら?

 

今年もあと4日ですね。

みなさんにとってこの1年はどんな1年でしたか?

私にとってのこの1年は、「準備完了」の1年でした。

 

私にとって、2020年に新型コロナの蔓延が始まってからの約3年は苦しみの真っ只中でした。

私の夫は外国人と仕事をしているので、この3年弱はほぼ仕事がゼロでした。

幸い経済的には十分生活できていましたが、いつ終わるかわからない、未来が見えない状況は大変なストレスで、私たちにも何度も精神的な試練がありました。

800以上の仕事に応募するも、そのほとんどで面接もなく落とされつづけ、夫はとてつもない無価値観に苛まれていました。

これはそばで見ている私もとてもつらかったですし、本人も私もどうしようもない無力感に長い期間沈み込んでいました。

そして、まだ新型コロナが猛威を振るい始め、世界中がパニックに陥っていたころ、私は一度妊娠し、流産しています。

この2年で2回引っ越しし、先の見えない暗い海の中を言葉通り漂流していました。

 

この2年半のストレスは尋常ではなく、精神的にも、肉体的にも、とてつもなく苦しかったです。

一番しんどかったのは、このつらさを共有できなかったことかもしれません。

「みんなしんどいんだよ」と、ふと言われたこの言葉が私にはとてもつらく、もう誰にも話さないと決めてしまったのです。

平常を取り戻した今だから、やっとこうしてここで「つらかった」と言えるのです。

 

でも不思議なことに、今となれば「あんなことがなければよかったのに」とは思えないのです。

「ああ、私は抜け出せた。また新たに自分を知ることができて、また一つ成長できたのかもしれない」と、思える自分がやはりいるのです。

 

これは、PMDDに苦しんでいた悪魔のような数年間を思い出します。

PMDDに解放されている今の私ですが、やはり「あんな経験なければよかった」とは思えないのです。

「ああ、私は乗り越えた。自分をより知ることもできたし、自分をより尊重することができるようになった」と、思えるのです。

 

もちろん、PMDDは自分を肉体的にも傷つける恐れがあるので、できることならこんな状況にならないほうがいい。

でもこんなことでも起きなければ、私は自分を俯瞰する力も、冷静に状況判断する力も、自分に尊厳を持つ力も、他者を思いやる力も、世の中をフラットな目で見る力も、今ほど絶対になかったでしょう。

PMDDを癒す過程では、否応なく自分と向き合い、掘り下げていく必要があるからです。

 

PMDDがなかったなら、私はそれと同じくらいの別の苦しみを経て、きっと同じことを学んでいたのではないか。

きっとそれが、自分に与えられた経験なんだと思います。

 

この新たな苦しかった約3年は、PMDDを経験してきたおかげで乗り越えられたのではないかと思います。

つまり私は、PMDDを「モノにした」ってことですね。

だからこの1年は私にとって、新しいスペックを得てバージョンアップした「準備完了」の年なのです。

飛べないと思っていたとてつもない大きな跳び箱を飛んで、その先にある景色を見るのがもうワクワクして楽しみだ!といったところでしょうか。

 

いまPMDDで苦しんでいる人も、きっと今その準備期間なのです。

目の前に視界を遮るような大きな跳び箱があっても、それを何とか飛ぶための体力やスキルを身につけている真っ只中。

それをやめてしまうと、後ろに引き下がるか、ずっと跳び箱の前で体育座りする人生しかない。

だからこそあきらめてはいけない、なんとしても跳び箱を飛ぶ力をつけるのです。

そして、その経験はいずれやってくる様々な人生の問題を乗り越える力になってくれる。

これが、PMDDを経験してきた私に言えることです。

 

カウンセリングを受けてくださった方の多くが、人生を好転させているのはそれが理由です。

PMDDの経験を通して、悩みがなくなったのではなく、悩みを解決できる力が備わったのです。

 

さあ、「準備完了」して、早く跳び箱の向こうの景色を見てみましょう。

来年はうさぎ年!跳び箱を跳び越えましょう!