PMDD「自分嫌い」の思考回路

 

前回のブログでは「植え付けられた価値観」によるネガティブループのサイクルをお話ししました。

さて、私たちは頭ではわかっているのになぜそのサイクルから抜け出せなくなってしまうのでしょう。

 

私たちは幼いころ、テレビで幸せな家族のコマーシャルを何度も見てきました。

休日はお父さんが運転する車で、家族で海や山に出かけるコマーシャル。

お母さんが風邪の子どもを抱きしめて看病してくれるコマーシャル。

結婚して幸せなカップルに子どもができるコマーシャル。

色々な場面で聞いてきた、「男は泣くな」というセリフ、「女なんだから」というセリフ、「子どもは知らなくていい」というセリフ。

いつしかそれが私たちの当たり前になってしまった。

 

「結婚するのが良い」「子どもは産んだほうが良い」「子どもは二人いたほうが良い」

それが、幸せなんだと。

父親とはこうあるべき、母親とはこうあるべき、夫は、妻は、結婚とはこうあるべき・・・。

それが普通で常識なんだと。

そしてそれが得られない状況に人は苦しみます。

 

「こうあるべき」「こうすべき」「普通とは、常識とは、平均とは、当たり前とは」

これが、私たちにいつのまにか「植え付けられた価値観」です。

 

私たちの思考は、このような「植え付けられた価値観」によって、そのように物事を考えるように働きます。

そして、自分自身についても、他人についても、世間についても、その「植え付けられた価値観」を基に、毎秒、毎分、様々に考えて判断し、生きているのです。

 

頭でわかる、とは、「価値観」に基づいて思考した結果です。

「植え付けられてきた価値観」によって思考しているかぎり、考えても考えても同じ場所をサイクルするだけです。

つまり、「価値観」が変わらなければ、頭での理解が本当の意味で変わることもありません。

これが私たちがよく言う、「頭ではわかっているつもり」なのです。

 

さて、では「価値観」が変わらないまま思考し続けているとどうなるでしょうか。

「植え付けられた価値観」で考えることを繰り返していくと、それは「思考のクセ」として自分の中に深くこびりついていきます。

「思考のクセ」は、その人の考え方、行動、性格形成にも影響を及ぼします。

そしてその「思考のクセ」を繰り返す結果、自分自身を良い悪いで分断してしまう「白黒ジャッジ」に行きついてしまうのです。

それは「好きな自分」と「嫌いな自分」に分断することです。

 

 

そして人間という生き物は「嫌いなもの」「良くないもの」を自分の中に入れたくない生き物です。

「良いお茶だから飲もう」と言われたら飲みたくなりますが、「悪いお茶だけど飲もう」と言われたら、飲みたくなくなるし、吐き出してしまいたくなります。

つまり、「嫌な自分」「悪い自分」だと自分でジャッジした自分は、決して自分の中に受け容れたくなくないし、排除したくなるのです。

これが、全てのネガティブループの始まりです。

こうしてまた、「良い自分であらねばならない」「頑張らねばならない」と、植え付けられた価値観のもと、思考が働き、そうできない自分をまたジャッジしては死にたくなるのです。

 

さて、ではこのネガティブループを断ち切るにはどうすればいいのでしょうか。

次回はネガティブの根源である「白黒ジャッジ」についてお話しします。