100%の情熱

 

私は過去にヨガを集中的に修練していた時期がありました。

カナダやアメリカ、インドでも、ヨガアシュラムに籠ってはヨガと瞑想の日々。

今は当時とはかけ離れた生活をしていますが、そこで得た教えや学びは、今の実生活においてもとても役立つものが多いです。

 

その中の教えの一つが、「目標や、やりがい、生きがいが見つからないなら、100%の意識を持って日々を生活すること」

これは、目指すものや夢中になれるものがなく、ただ悩みにふけり、怠惰に日常を送るのなら、日常の生活に100%の情熱を燃やせ、ということです。

 

たとえば、食べるときは食べることに100%集中する。

食べるものの味、食感、匂いに集中し、噛むこと、飲み込むことにも意識を払う。

パンの次はトマトにしようか、それとも一度スープを飲もうか、口に入れる順番にも意識を払う。

 

たとえば、お風呂に入るときはお風呂に100%集中する。

お湯は熱いか、ぬるいか、自分にとってどの温度が心地よいか、意識を払う。

洗う髪の髪質、洗う体の肌質、骨格の柔軟性、石鹸の香り、湯気を吸う喉にも意識を払う。

 

特別なことはしなくていい。

特別な自分にならなくていい。

特別な目標などいらない。

 

日々の生活に100%集中して、自分の意識を高めていく。

すると五感が研ぎ澄まされていく。

自分で意識しないうちに、五感はどんどん鋭くなっていく。

 

研ぎ澄まされた五感は、自分にこれまでとは違う認識を与える。

今まで見ていた景色が、まるで違うように見えることだってある。

それは自分と世界との間にこれまでと違う認識を与え、自分に対してもこれまでと違う認識を与える。

 

100%の意識で日々の生活を営むことで、私たちは新しい認識で世界を見ることができる。

その時、自分の中に芽生えるものは何か、それをまた、100%の意識で感じればいい。

 

シンプルに、熱く、集中して、食器を洗ったり、髪を梳いたり、お茶を飲もう。

それだけで、いつか違う目で世界を認識することができるはず。

 

 

 

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