無駄に傷つかない
突然ですが、みなさんは誰かに「いらないもの」をもらった時、どうしますか?
相手に丁寧にお返ししますか?それとも一応もらっときますか?こっそり捨ててしまいますか?
もしそれがモノではなく、「言葉」や「思い」だったらどうしますか?
自分にとって嫌な言葉、迷惑な言葉、ネガティブな言葉だったらどうでしょう?
実はあのブッダも、見ず知らずの他人から「いらない言葉」をたくさんもらっていたのです。
全てを受け容れる “目覚めた人=ブッダ” は、自分にとって「いらない言葉」をどうしていたのでしょうか?
今日は、私の大好きなブッダのお話しです。
ある日、ブッダはいつもの木の下で大衆に説法を説いていました。
村の聴衆はブッダが来る日が待ち遠しく、木陰に座り、楽しみに聴講していました。
そんなブッダを良く思わない一人の男がいました。
「おい、ブッダとやら。お前はいつも人に説法して偉そうだ。もうこの村には来るな」
男はブッダにけしかけました。
ブッダは男に目もくれず、聴衆に説法を続けました。
「おい、オレの話を聞いているのか!偉そうに、お前はどれほどのものなんだ!この村に二度と来るなと言ってるんだ!」
男は興奮気味に聴衆の間に割って入り、ブッダに詰め寄りました。
聴衆はビクビクしていますが、それでもブッダはなお説法を続けました。
「お前!俺を怒らせるのか!早くその偉そうな説法をやめろ!お前なんかに何がわかる、早くこの場から出て行け!」
そう言って男は、なんとブッダの顔に唾を吐きかけたのです。
さて、ブッダは...
それでも説法を続け、そして男にこう言いました。
「あなたは誰かから自分が欲しくないものをもらった時、それをどうしますか?」
男は言います。
「欲しくないものをもらうだと?そんなものもらうもんか!それより俺のいらないものを渡したそいつに投げ返してやる!」
ブッダは言います。
「私も同じです」
「あなたは私が欲しくない言葉をくれるので、受け取らなかっただけです」
「そして、あなたが私にくれた言葉も、行為も、全てあなたにお返ししたいと思います」
この時のブッダは、男に暴言を吐かれる前と、吐かれた後も、同じ心境だったのです。
つまり、自分を貶める言葉、自分をネガティブにさせる言葉を、一切自分の中に受け容れることなく、いつもの自分の平常心を保っていたのです。
男が投げかけた言葉で傷つくこともなく、イライラさせられることもなく、そしてそれを言った男を怒ることも、軽蔑することもなく。
なぜなら、その言葉がブッダに何も影響しなかったので、そんなことする必要さえなかったのです。
私たちは他人の何気ない言葉に敏感です。
他人が自分についてどう思っているか、どう評価しているか、どうしてほしいと思っているか。
もちろんそれを知ることは問題ではありません。
「あなたってこういう人だよね」
「あなたのこういうところがだめなんじゃない?」
「あなたはいつもそうだからよくない」
そんな他人の何気ない言葉を自分の中に容易に受け容れ、その言葉で自分が傷ついたり、貶められた気分になることが問題なのです。
もしそれが、自分がポジティブに変われる有益な言葉なら、受け入れるのもひとつの選択です。
でも、自分がネガティブになる言葉なら、受け入れる必要はない。
投げかけられても、そっと地面においてその場から去ればいいのです。
どんなに近しくて、大切だと思っている人からの言葉でも、です。
自分を守れるのは、自分しかいないからです。
人間関係、社会の構造は、単純ではありません。
でも、少なくとも私たちは「自分で選ぶ」ということができます。
どんな言葉を受け取り、どんな言葉を受け取らないかは、自分次第です。
生きていれば、避けようのない、いろんな出来事が起きる。
でももしあなたが、日常の些細な言葉でネガティブになって、自分を蔑んでしまうなら、もうこれ以上、無駄に傷つくことはやめましょう。
ネガティブをひとつひとつ打ち消していくだけで、ポジティブに近づいていく。
ポジティブになれないなら、ネガティブを消していきましょう。
ネガティブな言葉を容易に受け容れない、それがポジティブへの一歩でもあるのです。