PMDD「白黒ジャッジ」の固定概念

 

前回の記事からの続きです。

 

私たちが日々苦しくなり、そしてPMDDの精神症状がひどくなるきっかけとなるのが、思考のネガティブループです。

このネガティブループは、幼いころから無意識に入り込んできた「植え付けられた価値観」を基に、私たちがものを考え、様々なことを判断する際に生まれる「負の思考回路」です。

もちろん、私たちがこれまで知らない間に得てきた「価値観」は、すべて悪影響を与えるものではありません。

世間や親から得られてきた一定の価値観は、この社会を生きる上で、人と関わっていく上での必要なルールでもあるのです。

ただ、それがあたかも「自分自身の価値観」となってしまっていると、それは自分を苦しめることになる場合が多いのです。

つまり、世間や親、教育によって教えられてきた「価値観」は「社会をうまく生きるためのルール」として必要な場合もある、でもそれは「自分自身から生まれた本当の価値観」ではないということを理解しなければ先には進めません。

 

さて、その「植え付けられた価値観」で考えることを繰り返していくと、それは「思考のクセ」として自分の中に深くこびりつくというお話をしました。

そしてその「思考のクセ」のなかで生きていると、今度は自分自身を良い悪いで分断してしまう「白黒ジャッジ」に行きつきます。

 

「白黒ジャッジ」とは何か?

 

それは、物事や出来事、人や様々な事象を、すべて「良い=白」「悪い=黒」で判断してしまうことです。

ではそのジャッジを、白と黒の眼鏡をかけて行っていると想像してください。

すべてを白と黒で見分ける眼鏡をかけて、世間を見渡している限り、そこに映る人も出来事もすべてが白と黒に色分けされてしまいます。

そしてその眼鏡をかけたまま自分を見てみると...自分の中を白と黒に色分けして見ているのです。

これが「良い自分(白)」と「悪い自分(黒)」です。

 

しかし私たちは、自分がいつから白黒の眼鏡でものを見るようになったか気づいていませんし、白黒眼鏡をかけていることにさえ気づいていないのです。

そしていつまでもすべてを「良い(白)」「悪い(黒)」でジャッジしていることにさえ気づいていないのです。

そう、この眼鏡こそが「植え付けられた価値観」によって白と黒に塗り分けられた「思考のクセ」そのものです。

 

世間を白黒でジャッジしているうちはいいでしょう。

しかし自分を白黒でジャッジしてしまうとどうでしょう。

それは、自分を白と黒の二つに分断し、自分を苦しめる行為です。

「良い自分(白い自分)」を大切にして、「悪い自分(黒い自分)」を排除しようとしているのです。

 

これは、自殺行為です。

 

様々なことが起きるたびに、様々なものを見る度に、誰かと会うたびに、人と話すたびに、自分の言葉、行動、態度を振り返っては、自分を白黒でジャッジして、黒い自分をナイフで切り落とそうとしているのです。

 

 

「これは良い」、だからこのように生きようね。

「これは悪い」、だからこのように生きてはいけないよ。

いつの間にか植え付けられた「良い」「悪い」の価値観は、いつの間にか「これは良いこと、だからこうあるべきなんだ」「これは悪いこと、だからこうあってはいけないんだ」と、様々なものを真っ二つにジャッジする思考回路を作っていきます。

そしていつの間にか、「これは良い私、いつもこんな自分でいなければならない」「これは悪い私、こんな自分ではいけないんだ」と、自分をも真っ二つにジャッジして考えるようになります。

これが繰り返され、自分の中で当たり前になっていき、やがて「固定概念」となります。

 

さて、人は「良い」部分だけで、つまり「純白」に生きていけるのでしょうか。

嫌な自分、悪い自分をなくして、「黒い自分」を切り落とすことで、人は生きていけるのでしょうか。

 

その答えは、「陰と陽」にあります。

長くなりますので、次回にお話ししたいと思います。