誤解されたままでもいい
人間関係って、ムズカシイ。
そう思っている人がほとんどなんじゃないでしょうか。
人間関係は、年をとるごとに「うまく付き合う」方法や、「良い距離感を持つ」方法を身につけることで、年々楽にはなってくるものかもしれません。
それでも、なんだかモヤモヤする瞬間というのはやってくるものです。
でもそんな瞬間があっても、「うまく付き合う」方法や「よい距離感を持つ」方法でのらりくらりとやり過ごせることがほとんどで、付き合うのがしんどくなれば、私はあっさり会うのをやめたりもします。
でも少し前に、どうしてもモヤモヤを抱えながら付き合わなければならない仕事上の人間関係がありました。
その中で私は「あなたはまじめすぎるんだよ。かたいよ!」みたいなことを言われたことがあるんですね。
私、そんなふうに振る舞っているつもりなかったので、結構その言葉に傷つきました。
まるで、「あんたつまんないね、だからだめなんだよ」って言われてる気がして、しばらく本気で悩んだんですよね(笑)
でもね、よく考えてみてくださいよ。
まがりなりにもお世話になる仕事上の付き合いで、たった数回しか会って話したことのない人に、自分の面白いところって見せられますか?
その人の面白さや楽しさって、本音で話して、心を開いて打ち解けていくうちに見えてくるものではないかと思うんですよね。
で、私思ったんですよ。
「ああ、私を表面でしかジャッジしない人に、私の楽しくて面白い所見せなくてよかった」って。
「あっぶねー、もう少しで私のいい所見せちゃうところだったじゃん」って(笑)
私、ひねくれてますか?
だって、自分の一番いいところを、そんなモヤモヤした人間関係の人に見せるなんてもったいなくないですか?
そんな楽しくて面白い自分は、自分が一緒にいて楽しい人、うれしい人たちのために取っておかなきゃ。
ご想像の通り、その方とは疎遠になりました。
つまり、誰にでも都合のいい「楽しい人」「良い人」「面白い人」になる必要はないってことですよね。
それは自分の中のとっておきの部分なんだから、モヤモヤする人間関係の中で無理に差し出す必要はないんですよ。
モヤモヤする人間関係の人に自分を誤解されていても、「それは本当の私じゃない、私はもっと楽しい人間なの!」って叫ぶエネルギーがもったいないじゃん。
「あいつ、つまんねーな」って思われても、「あんたには私のつまんねー部分で十分だよ」って気持ちでいいんじゃないかと思うの。