親子関係と固定概念

よく、夫婦にはその夫婦にしかわからない事情がある、だから他人が口を挟めるものではないと言います。

これは、実際に結婚して夫婦になった経験がある人ほど、その実感があるのではないでしょうか。

 

そしてこれは、親子にも当てはまる、と私は思うのです。

夫婦には、こういう関係であるのが当たり前、それが普通、といった「一般的な概念」がありますが、親子にも、こういう関係性であるのが当たり前、それが普通という「一般的な概念」があると思います。

その上で、夫婦にはその人たちにしかわからない関係性があるのなら、親子にもその親子にしかわからない関係性があると思うのです。

 

つまり、子は親を尊敬すべき、親は子をこう愛すべき、年老いた親を大切にすべき、子が成長したらこう接するべきなど、それが当たり前という概念が存在しつつも、「それでも当事者しかわからない関係性がある」ということです。

しかし、親子だからこうあるべき、といった「一般的な概念」は、夫婦のそれよりもものすごく強固なのではないでしょうか。

また親子関係についての「一般的な概念」いわゆる固定概念に苦しんでいる人が多いのも事実です。

 

夫婦に様々な形があるように、親子にも様々な形があります。

ものごとが多様になればなるほど「一般的な概念」というものは通用しなくなります。

それでも人々が「一般的な概念」を無意識に求めるのは、多くの人々がそれを正しいと思い込んでいるからです。

 

では、その正しさはどこから生まれたのでしょうか?何によって正当化されているのでしょうか?

先ほども書いたように、ものごとが多様になればなるほど、それに対する「一般的な固定概念」というものは通用しなくなります。

つまり、その概念の正しさは失われるということです。

 

そんな曖昧な固定概念の中に、自分たちの夫婦関係や親子関係をジャッジされる必要はないということです。

いま、親子関係に悩んでいる人は、親にこうすべき、親をこう思うべき、親との関係はこうあるべきという「固定概念」を外してみましょう。

 

もっと自由に、自分が親に思う本音を大切にしていいのです。

多様な親子関係の中で、あなただけが経験してきた親子関係なんだから、「一般的な固定概念」の中にその思いを埋もれさせる必要はないのです。