大人の成長の証

 

みなさんは、大人になってから「成長」を感じることができているでしょうか?

子どものころは背が大きくなったとか、学年が上がったとか、鉄棒ができるようになたっとか、それはもう毎日のように成長を感じていたと思います。

学生時代は試験の成績だったり、課題が通過したり、作品が受賞したり、さまざまな「評価」を得て成長を感じることができたかもしれません。

 

では、大人になってからの成長はどうでしょうか。

もちろん仕事での評価や、段階的な昇進などで成長を感じることもあるかもしれません。

でもそれは人間的な「成長」というよりも、社会的な「成功」というほうが近いのかもしれません。

 

私は最近、自分の成長を感じられず、このまま「止まったまま」年を取っていくんじゃないか?

何か資格を取ったり、勉強したり、無理やりにでも自分を成長させないといけないのでは?と、焦ることもありました。

なんだか過去よりも経験が乏しくなっていく気がしてならなかったのです。

 

でも最近、はっと気づくことがありました。

それは、ふと過去の自分を思い出して恥ずかしくなった時のことです。

 

ほんの数年前の出来事を思い出し、「あの時の自分は大人げなかったな」「あの時の私は自分のことしか考えていなかったな」「もう少し優しくなれたんじゃないか」「自分のことで必死で人に気遣いできていなかったな」など。

また、もっと若かった頃のことを思い出して、顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった自分も思い出すのです。

きっと皆さんもそんな風に感じることがあるのではないでしょうか。

 

私は、もしかしてこれが大人になってから味わう成長なのでは?と思ったのです。

「あの時の自分」を恥じることができる。

「あの時の自分」を情けなく思える。

 

それは、今だったらより良い行動ができるし、今だったらもっと周りを見ることができる、今だったらもっと穏やかでいられる、という成長の証。

そして、あの時の自分は生きることに一生懸命で、まぶしいくらいに純粋で、何も知らない無垢そのものだった、と思えることが成長の証ではないかと思います。

 

大人になると年齢や立場からプライドも出来上がってしまい、考え方も固まってしまいがちになる。

そうすると「自分を恥じる」ということが難しくなってくるものです。

これは負けを認めることができなくなるとも言えます。

もちろん、人生は勝負事ではないのですが、自分の未熟だった行動に気づき、恥じ入るということは、今よりより良い自分になれるチャンスでもあり、ステップでもあるのです。

 

私は最近、過去の自分を思い出して恥ずかしくなった時、自分が困った顔をして笑っていることに気づきます。

「ああ、バカだったなあ」って、口元が緩みます。

それは未熟で、必死で、自分しか見えてなかった自分を愛おしく思える瞬間でもあるのです。

 

皆さんも、もし過去の自分を思い出して恥ずかしくなったら、「一生懸命生きていたおバカな私」を愛でてください。

それが何よりの成長の証なのですから。