映画:彼女たちの革命前夜
先日、とても素敵な映画を見てきました。
久しぶりに映画館で見る映画で、あまり下調べもせずに見たのですが、とても力強く、色々な形の愛に溢れ、胸にぐっとくる映画でした。
主演はキーラ・ナイトレイ、とても自我の強そうな(笑)私の好きな女優さんの一人です。
映画の舞台は1970年代のイギリス・ロンドン。
ヨーロッパとはいえ、女性が男性と同じように学び、働き、男性と同様の社会的な権利を手に入れるということがまだ難しかった時代です。
主人公のサリーは、そんな社会的背景の中、離婚し、いまは男性パートナーと一緒に一人娘を育てています。
そして彼女は大学に入りなおし、歴史を学びたいという希望から、子育てや家事を男性パートナーや実母に任せて大学に通うという生活がはじまります。
そんな中、女性に対する抑圧的な文化や女性軽視の社会に対してフラストレーションのたまった人々が集まり、「女性の解放運動」の活動集会が開かれるようになりました。
サリーも、大学や家庭の中での男性優位の風潮にはうんざりしていたため、その活動に加わるようになり、次第に仲間と行動を共にしていきます。
ある日、例年開催される世界3大ミスコンの「ミス・ワールド」の開催を妨害しようというアイデアがグループの中に生まれました。
「ミス・ワールド」では女性が水着を着て審査員の前に立ち、スリーサイズや容貌で点数をつけられ、順位を決めるという、サリーたちには耐えがたいイベントだったのです。
そのイベントの妨害活動を計画していく中で、サリーはミスコンに参加するために世界中から集まった女性たちと出会います。
そしてそこには、女性だからという問題以前に、世界は未だ人種や国籍、肌の色による差別や偏見が根強い事を思い知らされるのです。
肌の色、人種で虐げられてきた国の女性たちにとって「ミス・ワールド」は栄光と社会的な権利を掴むチャンスでもあったのです。
さて、ネタバレはこのくらいにしておきます。
印象的なのが、ストーリーの中で「私はお母さんみたいになりたくない」という主人公サリーの言葉があります。
自由もなく、ただ男性の影となり、家庭で家事育児だけに専念するなんて、お母さんはちっとも自分らしく生きていないというサリーの悲しみでもあるのでしょう。
この言葉は何度思い出しても涙が出そうになります。
それは私が自分の母に対して何度も思ってきたことでした。
家庭のために働きづめ、家事や育児を一手に請け負い、自分の時間や自分に使えるお金なんてほとんどなかった母の人生、そんな母を隣で見ながら一緒に生きていた子ども時代は私もつらかったのです。
でも娘にそう言われたサリーのお母さんのセリフにもまた、ぐっとくるものがあるのです。
ぜひ本編で見ていただきたいです。
実はこの映画は実話をもとに撮られています。
エンドロールには映画に出てきた実際の女性たちが、現在は自分らしく、社会的に隔たれることなく活躍し、夢をかなえている姿が映し出されます。
これを見て、「私たちが今、男性と社会的な同等の権利を得ているのは、彼女たちのフラストレーションや、その結果の活動によるものなんだ」と実感しました。
しかし同時に「日本でもまだまだ過去の抑圧された考え方に苦しむ女性はいる」と、カウンセリングに来られる女性たちのことも心に浮かんできたのです。
この映画は、どんな立場の女性にも、どんな状況の女性にも、琴線に触れるものがあるのではないでしょうか。
とっても、おススメの映画です!
監督:フィリッパ・ロウソープ
主演:キーラナイトレイ
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