母への愛というもの

 

先日、SNSでこんな言葉をみつけました。

 

親が子どもに無償の愛を与えているのではない。

親が子どもから無償の愛をもらっているのだ。

 

私の心に糸針のように刺さったこの言葉。

 

わかりあえない腹立たしさは、もっと話を聞いてほしい、知ってほしいから。

老いていく親に苛立つのは、子供の頃に大好きだったままでいてほしいから。

理由もない怒りは、肌の温もりと一緒にいる時間が足りなかったから。

怒りの後の悲しみは、子どもの気持ちを持ったまま、大人になってしまったから。

 

全部、愛しているから。

お母さんを、愛しているから、腹が立ち、苛立ち、怒り、悲しくなる。

 

子どもは、お母さんが目の前からいなくなっても、苛立ち、怒りながら、愛している。

子どもの頃に欲しかった、温もり、会話、目線、声、時間を思い出しながら、怒りという愛に満ちている。

お母さんの姿、面影を探して、思い出して、怒りながら、苛立ちながら、愛している。

 

お母さんも、私のこと愛していたかもしれない。

でも、私も愛していた。

お母さんは、私のこと愛していなかったかもしれない。

でも、私は愛していた。

 

愛しているなんて認めたくないくらいの深い怒り。

愛していると認めてしまうと自分が壊れてしまう。

そんな、私の愛。

 

いつも疲れているお母さん、いつも愚痴を言ってるお母さん。

いつも忙しいお母さん、いつも犠牲になっているお母さん。

 

子どもの私はそんなお母さんを、助けたくて、笑ってほしくて、褒めてほしくて、必死だった。

大人の私はそんなお母さんに、苛立って、ムカついて、腹が立って、嫌いになった。

 

子どもの私、大人の私、どちらも同じ。

お母さんが好きだから、愛しているから、そうなってしまう。

 

ずっとお母さんを愛してきたよ。

怒ってるお母さんも、イライラしてるお母さんも、しんどそうなお母さんも。

 

ああ、私は無償の愛で母を愛していたんだね。

この怒りも、苛立ちも、腹立たしさも、全ては愛だったんだね。

 

お母さん、私の愛に気づいてますか?