分断か、解放か
日々生きる中で、恐れ、不安になるのはなぜでしょう。
それは、世間に目をやり、世間に認められる自分を演じ、世間の声を聞き、世間の求める自分を演じなければいけないからではないでしょうか。
うまくいかなかったらどうしよう。
悪い評価をされたらどうしよう。
これが、未来を恐れ、不安になり、人生を恐る恐る生きなければいけない一つの大きな原因ではないでしょうか。
たとえば、大人になった今でも、親の目を伺い続け、親に認められる自分を演じ、親の声を聞き続け、親の求める自分を演じてはいないでしょうか。
成長して親元から離れ、やっと全てを自分で選べるようになったのに、親の束縛はもうないはずなのに、なぜか今でも父や母の声が聞こえてはいませんか?
その声は今だにあなたに絡みつき、いつまでもあなたを悩ませ、呪縛となってあなたを苦しませていないでしょうか。
もうそこにはいないはずなのに、もう聞こえてこないはずなのに、もう見られてないはずなのに、
それでもいまだに影響してくる「呪縛」。
それは、ふとした時に記憶の中から掘り起こされる、存在、声、目線。
それらがあなたの体に何重にも張り巡らされたロープとなり、いまだにあなたを束縛し、あなたの人生の自由を奪っている。
どうすれば、解放され、自由になれるだろう。
あなたは世間や親の目線を気にする前に、自分が自分をどう見ているか、気にしたことはありますか?
あなたは世間や親の言葉を聞く前に、自分が自分に語りかけている言葉に、耳を傾けていますか?
世間や親に目をやるのではなく、自分の内側を見つめること、世間や親の声を聞くのではなく、自分の内なる声を聴くこと。
それが、本当の自分を理解するということです。
自分を理解するということは、自分を「良い」とか「悪い」でジャッジすることではありません。
自分を理解するということは、全てのジャッジを捨てて自分の内面を見ることです。
全てのジャッジを捨てて自分の内側を見つめた時、初めて本当の自分の声が聴こえるのです。
もしあなたがまだ、本当の自分の声を聴くのを恐れたり、本当の自分の声が聴こえないなら、それはあなた自身に自分を分断するジャッジがあるから。
この世界に、あなたをジャッジできるものなど存在しない。
世間も、親も、そしてあなた自身も、あなたをジャッジできるはずがないのです。
「良い」「悪い」のジャッジは、必ず分断を生みます。
「良い」自分を演じるために、本当の自分を殺して別の人格を演じ、「悪い」自分を世間に知られないように、本音の自分を殺してまた別の人格を演じる。
自分ではない何者かを演じながら生きる、それが分断です。
でもこの世界の何者も、あなたをジャッジし、分断することなどできるはずがない。
もしあなたが、人格を否定され、引き裂かれ、自由を奪われている感覚があるなら、自分の内側に目を向け、内なる声を聴くときが来ているのです。
ジャッジすることなく、ありのままに自分を理解し、自由にあなたらしく生きる時が来ているのです。
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